震災から6年

 

2011年3月11日の震災から6年になります。これまで犠牲になられた皆さまのご冥福をお祈りし、ご遺族の皆さまにお悔やみ申し上げます。

 

もう6年たつんですね。とても早く感じられます。

私も震災後、何回か東北に行きましたので、感じたことを書きたいと思います。

仕事で東北に行く

サービスエンジニアとして働いている私は、東北のある工場で機械に不具合があるとのことで伺うことになりました。

行く道中も通行止めや、道のひび割れ、陥没など至る所で見受けられました。

工場の中で見たのは、重さ何トンもある機械がかなり動いていて地震のすごさがすぐ分かり、現地の方も「立っていられなかった」とおっしゃっていましたので、かなりの恐怖があったんだと思います。

現地の方の話では、ライフラインが全て止まり、水が止まったことでトイレに行けなかったことが一番大変だったそうです。お風呂に水をためておかなかったことを後悔していて、私もいろいろアドバイスをもらいとても勉強になりました。

大手メーカーは無償で修理にこられていましたが、私どもの中小メーカーでは、やはり全額は厳しいとの事で少し修理代を頂く方針でした。

現地の方に「お金を取るのか!」と言われ肩身の狭い思いをしていましたが、「こちらも負担はありますし、必要最低限しかもらっていません」と話をしたら最後は分かって頂けました。

自分の力のなさに落胆したのを覚えています。

そこは山沿いでしたが、現地の方に「車ですぐなので海沿いの現状を見に行ってください」と言われましたが、最後まで見に行くことが出来ませんでした。

私に余裕がなかったんだと思います。

ホテルはほとんど休業していましたが、一軒だけ営業しており予約が取れたので宿泊しました。お風呂はシャワーで、照明がとても暗く、従業員の方も疲れきっていて、街全体がどんよりしていたのが印象的でした。

別の現場に訪れた時、現地の方に「こちらの地方は危険なので、幼い子供もいるし家族三人で岐阜の方に移り住みたいんですけど、どうですか?」と聞かれました。

「岐阜の近くにも福井の原発があり、風船の実験では原発事故があった場合、私たちの住んでいる所にも放射能がとんでくるそうです」と話したところとても残念がっていました。日本に安全な場所はあるのでしょうか。悲しくなります。

それでも私が行った現場では、何が起ころうとも前を見て家族を守り、謙虚に一生懸命働く方々ばかりで感銘を受けました。

 

プライベートで

当時、私は友人と農業をしていました。

友人が復興支援で自分たちにも何か出来ることはあるんじゃないかと探していたそうです。サトイモが東北で食べられていること、気候的にあまり栽培されていないことで喜ばれると聞いて「サトイモを東北に届けたい」と提案されました。

ある畑で無農薬無化学肥料でサトイモを栽培していたのです。

私も協力することに決め、二人で計画しました。トラックにサトイモを積んで、東北の農業を営んでいる団体に届ける事になったのですが、多くの方たちの協力で実現したので、とてもありがたく感じました。

岐阜から高速を使っても8時間かかるので一泊しましたが、二人だったのであまり疲れずに行くことができ、お互いの想いを話すことも出来たのでとても良い時間を過ごすことが出来ました。

私たちが届けた地域は、年間被ばく線量が1~20ミリシーベルトに上るため国が財政負担して除染を支援する「汚染状況重点調査地域」に該当する地域です。

そういった地域に行き、話を聞き、汚染が怖いために作付されていない畑を見て感じる事がたくさんありました。

また来年も届けようと約束しましたが、友人は諸事情により、私は体調を崩したことにより、その後農業を止めることになりました。そして二人の約束が果たされることはありませんでした。

最後に

東北では、6年たった今でも復興は続いています。また、原発事故で苦しんでいる人々、家族を亡くされた人々、その他多くの人々がいます。

私が役に立てることは何かといつも考えますが答えはなかなか見つかりません。ただ今は震災のことを忘れず、自分の心に刻み込んでおきます。

明日は自分が被災するかもしれません。今の幸せは明日は来ないかもしれません。

今を生かされていることに感謝し、自分を信じて、出来ることをやっていくしかないと考えます。

 

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。